平安時代、醍醐天皇の息子、文部大臣の重明(しげあきら)親王は、
渤海使(唐の国の隣の満州にあった国、渤海から来た使者)と会うとき、
セーブルを8枚を身に着けていて驚かれたと記述があります。
本日、9月14日は、その、中国大陸にまで名が知れた
重明(しげあきら)親王の命日になります。
身に着けてはいけなかった。それが8枚。しかし、それから百年後、源氏物語の中で、
光源氏のガールフレンド末摘花(すえつむはな)は、
”寒くて着るものがないから、時代遅れのセーブルを着るしかないわ”
と、語ってる。百年経つと、セーブルの形の流行が変わります。
セーブルを専門に扱う毛皮石井が港区広尾に登場します。
しばらくお待ちください。